五日前からまた山荘に来ている。この時季になるとさすがに寒さが身にしみる。晴天の日でも街中より四、五度は気温が低いはずだ。日没後まだ間もない時刻だが急に冷えこんできた。後背地の斜面の雑木林で風が騒ぎ出している。
夕闇が迫っている。晩秋から初冬へかけて、山地の夕暮れは、薄暮が短く、いきなり暗闇が地から湧いたように現われてきて、形あるすべてのものを呑みこんでしまう。路傍の草むらに萩や桔梗、女郎花などが咲いていた、村落へ降りて行く小道も今はもう見えなくなってしまった。その小道に沿って流れ下る谷川のせせらぎの立てる瀬音が風に乗って、一瞬、微かに聞こえてきた。
この山荘は、新比良山(あらひらやま)へとなだらかに起伏しながら続いてゆく丘陵群の一つを切り拓いた平地に、昭和の初期に建築された木造の、当時に流行した様式で、棟高の洋風の平屋である。西南の方角に面して建てられており、中二階にある、居室にしている部屋の大きな窓いっぱいに西空がひろがっている。大きな窓に向けて置いたリクライニング・チェアは、四季おりおりの西空が眺望できる最上の指定席である。時々刻々、大きな窓いっぱいに展開される夕景は見応えがあり、時のたつのを忘れて見入ってしまう。
先ほどの夕焼けのパノラマは見事であった。真向かいに黒々とシルエットになって横たわる山並の上の、明るんだ夕映えの空に黄金色に縁どられた鱗雲が浮かび、やがて茜色に染まり、赤々と燃えるようであった。
「春の夕焼け蓑を干せ、秋の夕焼け鎌を研げ」という俚諺がある。もう鎌を研ぐ時旬ではないし、この村落でも今は鎌で稲を刈ったり、草を刈ったりはしないだろう。旧いマントルピースの前では大型のブルーファイアーが勢いよく石油を燃焼させている。結露した水滴が滴り始めた大きな窓のガラスの外はもうすっかり濃密な闇に閉ざされてしまった。
二十六日、彼とは憩の家の前で別れた。午後四時頃であった。K市に向かう電車はもう混んではいなかった。斜め向かいに席をとった夫婦者らしい二人連れの低い話し声が聞こえてくる。温厚、篤実な人柄に見受けられる。
道友社のロゴの目立つ大きなビニール袋を三つも脇へ置いて話しこんでいる。今日、発売されたそのパンフレットが話題のようである。彼が言っていた、今日の祭典に際して発布された大きな指針書のことをしきりに話している。
耳に入ってくる話の要旨はこうであった。最近、若い人たちの求道心が乏しくなったことを嘆き、それもつまりは育てる自分らの努めの足りなさだというような話であった。若い者、それも勉学に励むしかないはずの学生の意欲の無さや、知的探求心の薄弱ぶりが世上でもしばしば指摘されるが、それと似たような話だと思って、興味深く思い、私的な会話を盗み聞きするようで悪い気もしたが聞こえてくるままに聞かせて貰った。お二人は西大寺で降りて行った。きっとこの近くの教会の人だと思われた。
注文してあった書籍を丸善で受け取り、午後八時頃にN市へ向かい、友人のSさん夫妻のお宅にその晩は泊めて貰った。翌日は県立美術館の「ゴッホ展」を見て、山荘に戻って来たのはお昼過ぎであった。夕方から降り出した冷たい雨は翌日の宵まで、時に雨脚を強めて降り、雑木林の櫟(クヌギ)や小楢(コナラ)、槲(カシワ)などの色づいた葉や団栗の実は大かた落とされてしまったに違いない。風はまだ音を立てている。
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